VIRGINE Magazine
Azzedine Alaïa Interview
http://www.virginemag.com/home/azzedine-alaia-interview(English)
――あなたは、どのようにしてファッションの世界に足を踏み入れたのですか?
「私の家族がお世話になった助産婦、ピノさんの手伝いをしていたときのことです。私が絵を描くのが好きだと言うと、彼女は美術展のパンフレットと、ピカソの本をくれました。そして父の意に反して、私を美術学校に出願させてくれました。私は試験に受かり、入学を認められました。小麦農家だった父は、私が住んでいたチュニスから遠く離れたところに住んでいました。父は子供たちに生活費を与えず、私は若いうちから、5㎡ほどのとても小さなブティックで働き始めました。オーナーは、ドレスを仕立てられる人を探していました。私の姉は修道女と一緒に裁縫を習っていて、基礎を全て書き込んだノートを持っていました。あれが、私がファッションに関わった初めてのリアルな経験です。店で働く間、私は飛躍的に腕を上げました。
そのブティックの近くに美しく大きな邸宅があり、二人の裕福な少女が、バルコニーから外を眺めて暮らしていました。私が段ボール箱や布を持って店に出入りしているのを見ていてた彼女たちは、ある日の放課後、近づいて来て私の仕事について尋ね、その夜、家に招待してくれました。家に行くと、ディオールやバルマンを身にまとった、彼女たちのいとこがいました。彼女の紹介で、私はバルマンのコピーを作っていたレイラというドレスメーカーのもとで働くことになりました。
アルジェリア戦争のために、結局そこでは5日間しか働けなかったのですが、彼女の友達が、パリにあるディオールのレディース・スーツのアトリエで働けるよう取りはからってくれました」
――当時、ディオールにはどういう印象を持っていましたか?
「当時はディオール、バレンシアガ、シャネルに皆が魅了され、あらゆる女性はそれらのドレスを着ることを夢見ていました。今日の既製服と別物だったのです」
――ディオールと言えば、ガリアーノの一件についてはどう思いますか?
「それについては十分に知りませんが、とても悲しいことです。何度も言ってきたように、ファッション業界のシステムは、人の心を乱します。システムがガリアーノや他のデザイナーに、(毎年)4回のメンズコレクション、4回のレディースコレクションを作るよう強要してきました。1年のうち一つでも(斬新な)アイデアを持つことができれば、それはもう奇跡なのに! 今やシステムは、無謀なペースであの手この手の金儲けをすることにばかり巧妙になってしまいました。それはファッションの本質ではありません。このような状況下で、どうして真にクリエイティブになれるでしょうか? 若いデザイナーにとってはとても難しいことで、経験を積んだデザイナーにとってはなおさら至難の業です。なぜなら彼らは、若い人より酒とドラッグにおぼれているのですら・・・。私が言いたいのは、システムが間違っているということです。
私たちはこの仕事を、違う角度から見る必要があります。システムはストレス過剰です。過剰なコレクション、過剰なプレッシャー。他の分野と同じように、本当にすばらしいクリーションをするには、時間がかかります。それはどういうことか? 私は1日24時間働いています。チュニジアに家を持っていますが、コレクションやフィッティングのため、20年間、一度も行けていません・・・」
――あなたが手がけた最初のコレクションは、どのように始まったのですか?
「1979年に、アイレット、グローブ、ベレー帽、そしてラバー製トレンチコートから始めました。実は、イギリス軍のために服を作っているブランドだったのです。シャルル
ジョルダンの既製服ラインだったのですが、バイヤーたちはそのコレクションがあまりにもSM趣味的すぎると思ったようです。それにもかかわらず、「エル・マガジン」は誌面で取り上げ、バーニーズは最初にグローブを、それからコートを、最終的にはすべてを買い付けてくれたのです! (ニューヨーク・タイムズのフォトグラファー)ビル・カニンガムも興味を持ってくれました。常にニューヨークの街を自転車で走り回っている変わり者の彼が、私は大好きです!」
――初めてのショーの演出は、どのようなものでしたか?
「音楽は使いませんでした。5日間、イマン、ジェリー・ホールなど、人気のモデルたちがラウンジを練り歩きました。ある日、私たちはパリのBelles-Chasses通りでショーを開きました。クライアントだけに向けたものでしたが、日本人(観光者)たちは喜んで写真を撮っていました。野外でショーを開いた理由はここにあります。私たちは、子供たちがモデルを見るために学校から飛び出して来る様子を録画しました。美しい映像です。
私は、モデルにワニ革のジャケットを着せました。このテーブルほどの大きさのワニ革を保管所で見たときは、絶対に不可能だと思いましたが! 家具のカバーかカーペット用に作られたものだと聞きましたが、どうしてもそれを服に使いたかったので、私たちは革をこすってベルベットのように柔らかくしました。私は、その革で裏地のないジャケットを作りました。今でもそれらを持っています。そういうわけで、モデルたちはBelles-Chasses通りを行進したのです」
――コレクションのインスピレーションは、どこで得るのですか?
「水晶を取り出し、手をかざします。私は占いがとても好きなのです。すぐにイメージが浮かび、それをメモします。翌日、オリヴィエにそのイメージを読み解いてもらうのですが、簡単ではありません。
本当のことを言えば、仕事をするうえでインスピレーションなどは不要です。ただビジョンを構築するだけです。ときどき、映像や写真を見てひらめくことはあります。たとえば、アリエッティのジップドレス。私はヘビのようなジップが付いたドレスを作りました。胸があらわにならない位置から始まり、腰とお尻の周りをめぐり、最終的には一周して脚の最も美しい部分に達するジップです。脚を見せたいときはジップを開ければ、脚が美しく見えるのです! イネス・ド・ラ・フレサンジュがこのドレスを着ました。そう! これこそがアイデアです! エルベ・レジェはジップドレスの概念を生み出したのは自分だと言っていますが、それは控えるべきです。私が告訴するかもしれませんからね(笑)!」
――あなたは自分に対して要求が厳しい人ですか?
「私は、気に入らないものは取りやめにします。あるとき製造業者がジャケットを送ってきましたが、タイトすぎて体に全くフィットしませんでした。女性は着心地の悪い服のために大金を払うべきではないので、私はそのジャケットの生産を取りやめました。幸せなことに、私と私の服は、カール・ラガーフェルドよりも愛されているのです(笑)! 実際、以前と違う考え方ができうようになったので、私は強さとエネルギーが増しています。すばらしいクリエーションには時間がかかるのです。もうろくし、老いぼれ、ファッションに殺されるような事態はまっぴらです。私は、自分のペースで、自分が本当にやりたいことをやっているからこそ、特別な評価を受けているのです」
――カール・ラガーフェルドについては、どう思いますか?
「彼のファッション、スピリット、姿勢が好きではありません。あまりにもマンガ的です。カール・ラガーフェルドは、人生のうちでハサミに触ったことがありません。彼が偉大でないと言っているのではありません。彼は違うシステムに属しているのです。彼は有能です。ある日は写真を撮り、次の日はコカ・コーラのための広告を作っている。私は、宣伝カーに張り出された自分の顔を見るくらいなら、死んだ方がマシです。私と彼がやっている仕事は別物です。彼がやっていることは、彼を手本とする若いデザイナーたちのためにならないと思います。彼らは仕事を務め上げる前につまずくでしょう」
――あなたは、アナ・ウィンターと何らかの問題を抱えていますか?
「以前も話しました。彼女はビジネス(雑誌「ヴォーグ」)をとてもうまくこなしていますが、ファッションに関しては違います。着こなしを見ると、彼女のセンスは到底信じられません。声を大にして言うことができます! 私はアメリカで最も売れているデザイナーの一人であり、バーニーズで140㎡の売り場を持っているというのに、彼女は私の作品を何年も誌面に載せていません。アメリカの女性は私を愛しているので、彼女のサポートは全く必要ありませんが。彼女は写真の扱い方を知りません。やっているのはPRとビジネスだけで、みんな彼女を恐れています。私と出くわしたとき、怖がるのは彼女のほうですが(笑)。
ほかの人たちも私と同じように考えていますが、「ヴォーグ」が取り上げてくれなくなるのを恐れて、口には出しません。いずれにしても、将来、ファッションの歴史を語るとき、アナ・ウィンターのことを思い出す人がいるでしょうか? 皆無でしょう。ダイアナ・ヴリーランドは、とても上品でセンスがあるので、思い出されると思います。彼女が、アヴェドンをはじめあらゆる偉大なフォトグラファーたちとともに、雑誌で果たした仕事はすばらしい。「ヴォーグ」は、ファッション・エディターが加入しては去って行く、その繰り返しが続くうちはなくならないでしょう。
――私はグレース・ジョーンズが大好きです。あなたは、しばしば彼女と仕事をしていますね。お二人のコラボレーションについて聞かせてください。
「彼女はとてもダイナミックです。人を引きつける何かを、内面に持っています。一緒に旅行をしたこともあります。彼女とてもエネルギッシュなので、一緒にいるととても楽しいのです。レディー・ガガとは違います。二人に共通点があるとは思いません。ガガのことも好きですが、彼女には彼女のスタイルがあります。一度も会ったことはありませんが」
――あなたは、誰とよく連絡を取っていますか?
「そう多くはありませんが、すばらしい人たちと連絡を取り合っています。ゲスキエール、アルベール・エルバス、コム
デ ギャルソン、ワタナベ、そしてソフィー・テアレットなどです」
Fin
誌名に「A
New Beginning」の意味を込めた「VIRGINE」は、既存のファッション/カルチャー誌にはない新しいチャレンジをしていく予定です
「実現できないことはない」というメッセージが込められた「VIRGINE」渾身の企画を、ぜひみなさんにも楽しんでいただければと思います
MERT ALAS: A FASHION ICON INTERVIEW
今年6月に創刊されたVIRGINE Magazine
現在、アメリカをはじめ世界6カ国で販売されており、日本でも三省堂、丸善書店、リブロ、ツタヤ、青山ブックセンター、有隣堂の各店で販売中とのことです
前述の通り、ウェブ独自コンテンツも雑誌同様のハイクオリティです
雑誌のウェブサイトはおまけというも既成概念を崩し
今すぐに雑誌の雰囲気を味わいたい
そんな願望を叶えてくれる、新しい雑誌の形だと感じます
第2号は10月中旬の発売を予定しているとのことです
「VIRGINE」
※最後に「All
You Can Get」制作秘話も教えて頂きました
コカ・コーラの缶、ぬいぐるみ、m&mのチョコ、犬、
iPad、バイクと、日常生活にあふれる様々なものをドレスに見立てて撮影した本プロジェクトは、制作に5ヶ月を要し、その舞台裏には想像を絶する「産みの苦しみ」がありました。以下、その代表例です。
「コカ・コーラ」。1200個のコカ・コーラ缶を使ってスタッフが手作りしたドレスは、作るのと同じくらい、コーラを飲んで缶を空にする作業がとてつもなく大変でした。来る日も来る日も、朝一番にやる仕事はコーラを飲むこと、という日々が続き、出社して来るスタッフの表情が、日に日に険しくなっていたのを思い出します…。
すばらしい
ReplyDeleteAzzedine Alaïaの人柄やファッションに対する姿勢がよくも悪くも率直に伝わってきますね。
ファッションの世界のシステムに言及しているインタビューは考えさせられますね、私には若いデザイナーに忠告しているようにもとれました、酒とドラッグには気をつけろ、そしてクリエイティブの本質をしっかり持ってほしいと。
読んでいたときにbalmainのChristophe Decarninが頭をかすめました。
『産みの苦しみ』 デザイナーの苦しみですね、メイクやヘア、クリエイティブな仕事の中でも流れの速いファッションの世界のストレスは大変なんだなと。
(コーラは笑っちゃいました)笑
このようなすばらしいインタビューを日本語で書いてくれたのは、英語が得意でない私には宝です!!
子供の感想文みたいで申し訳ありません
本当にありがとうございます。
すみません!書き忘れてましたが
ReplyDeleteこの翻訳はVirgine Magazine編集部の方のもので、私のものではございません
わざわざ送って頂いた文で、こちらで紹介させてもたらったものなのです
自分も最近のファッションの世界は特に早すぎるような気がします
モデルもそうなのですが、デザイナーまでコロコロ代わって
本当にブランドとして成り立っているのか疑わしく感じるときもあります
名前だけなんじゃないのかと?
それだけ新しい風が絶えず吹いてるとも捉えることもできるのですが
なかなか複雑な心境です
コメントありがとうございますね!